大判例

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広島高等裁判所 昭和25年(う)664号 判決 1950年12月26日

控訴人 被告人 閔泳碩

弁護人 小野実

検察官 津秋午郎関与

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

被告人の弁護人小野実の控訴の趣意は末尾添附の控訴趣意書記載のとおりである。

控訴の趣意第二点について、

しかしながら原判決挙示の証拠を綜合すれば優に原判示事実を認定することができるが、その際に被告人の用いた原判示脅迫の言辞は副検事作成の時政タヅエの供述調書の記載によれば、被告人が時政タヅエに情交を求めた際になしたもので、姦淫をとげるための手段としてなしたものであると認めるのを相当と考える。そして右供述調書の記載によれば、被告人は情交の目的を遂げなかつたことは明らかであるから、被告人の所為は強姦未遂罪を以つて問擬さるべきであろう。強姦未遂罪においては告訴のあることが起訴条件であることは刑法第百八十条に明定するところであるが本件においては告訴のないことは記録に徴し明らかである。そして強姦罪は暴行又は脅迫を以つて十三才以上の婦女を姦淫した場合に成立するのであるから、強姦未遂罪において告訴がないのに拘らずその構成要件の一部である脅迫の事実についてのみ起訴することは許されないものと解するを相当と考える。しかるに原審は原判示事実を認定し被告人を脅迫罪を以つて処断したのであるが、若し原審が右脅迫は被告人が時政タヅエを姦淫する手段としてなしたものではなく情交の要求を拒絶されたのに憤慨し情交を求めることとは別個に脅迫したものと認定したものと認定したものとすれば原判決には事実の誤認があること前段説示のとおりであり、又若し親告罪である強姦未遂罪において告訴がなくとも脅迫の事実についてのみ起訴ができるとの見解を採つたものとすれば、原審は法律の解釈を誤つたものというべく、孰れにせよ原判決は到底破棄を免れない。

よつて爾余の点に関する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第四百条但書に従い原判決を破棄し、被告事件につき更に判決をする。

本件公訴事実中被告人が時政タヅエに対し「俺は朝鮮連盟の委員長だ後には大衆が多くいるからびくともしない。やらせねば殺してやる」と申向けたことは原審公判調書中証人時政タヅエの供述記載によりこれを認められるが、右脅迫は姦淫の目的を遂げる手段としてなされたものであること及び本件には告訴の提起のないことは控訴の趣意第二点において認定したとおりであるから本件公訴提起の手続は無効というべく、したがつて刑事訴訟法第三百三十八条第四号に則り本件公訴を棄却することとし主文のとおり判決する。

(裁判長判事 三瀬忠俊 判事 和田邦康 判事 小竹正)

控訴趣意書

第一点本件は事実の認定を誤りたるものなり。

原判決は有罪の証拠として、被害者時政タヅエの第二囘公判廷に於ける判示に照応する被害顛末に関する供述を採用した。しかし右被害者の証言は措信すべからざるものがある。これを唯一の証拠として有罪と認定したことは失当である。

公判廷に於ける被害者の証言は「昭和二十三年九月三十日か十月一日と思いますが午後二時か三時頃私の宅に増田(被告人のこと)が来て御免下さいと言つて入り、私は四畳半に寝ていて返事をすると、私の処に上つて来まして枕元に坐りました。少し酒を飲んでいた様に思いますが男の子を産んだと言うのだなあ、自分の妻も腹が太いから多分女の子だろうと言つていましたが、そのうち増田さんはやらせい(情交をすること)産後は二週間位すれば大丈夫だと申しますから、私はそれはいかん長男を産んだ時は二ケ月も関係しなかつたのだからと申しますと、今は科学的ぢや二週間位で大丈夫じややらせいと言つて私が寝ている布団を横からはぐつて、ズボンのバンドを外し猿又を下して横に寝ている私の背から上にあがりかけて片足を私の身体に上げたので、私はその足の股部を一度蹴つたのであります。すると増田は起きずに俺は連盟の委員長だ大衆は多くおるからぴくともしない。やらせにや殺してやると言つたのであります」と云うのである。

右の証言は同証人の検察庁に於いての供述とも殆んど同じである。

さて右証言を仔細に検討すると、一般社会通念から判断して矛盾が多いのである。第一、被告人がやらせいと言つたときの被害者の応対振りである。被害者は情交を求められたことを十二分に察知しながら、それはいかん、長男を産んだ時は二ケ月も関係しなかつたのだからと返答しているのである。人情事を解するものとすれば、この返答によつて被害者が果して情交を拒否するのか否か疑わざるを得ないのである。被害者は産後であるからやれないと言つているものの其の言解はすこぶる男性を惑わすものである。落花流水の情をその言辞に含めているのである。

それはいけんと言うが其の後に続いて二ケ月云々の言辞を弄しているので反語的な応対になつたのである。男女の秘事に於ける会話としては寧ろ受諾的と謂い得る。

其の後被告人が寝ている布団の横からはぐつてズボンのバンドを外し猿又を下して、横に寝ている被害者の背から上にあがりかけて片足を被害者の身体にあげる迄の間被害者は被告人の行動を凝視しつつあつたのである。事実の起つた時は昭和二十三年十月一日頃のことである。被害者が公判廷に於いて証言した時より過去に遡及して二十一ケ月余の出来事なのである。それだけ古いことを証言して尚かくの如く正確である。このことは当時如何に被害者が冷静であつたかを物語る。冷静であつたことは情交を自ら欲していた証左である。左もなければ被害者は虚言を弄していると判断せねばならない。男性が既に情交の一歩手前迄進んでくるのを冷静にながめながら、救援を求める一声も発していない。否被告人に向つてこれを避ける動作言動は全然ないのである。このことは公判廷に於て反対尋問をした弁護人の問に対して詳細に述べたときも同じである。世に強姦の事例多しと雖も、かくの如き女の態度は果して在り得るであろうか。この態度は情交を受諾したと解すべきである。被害者は被告人が片足を自分の身体に上げたのでその足を一度蹴つたと言つているのであるが、横に寝ているものが相手が背から上にあがりかけて片足を自分の身体に上げたときに相手の股部を蹴ることは物理学的に困難な動作であり、仮に蹴つたとしても少しも痛みを感じないものであることは実験則上明白である。時は午後二時頃の昼間であり朝鮮部落の細民街のことである 少し大声を立てれば向う三軒両隣に反響を呼ぶのである。それを自ら黙して事態を急迫せしめた。かかる情況下において被告人が起き上らずに寝たまま判示のごとき言辞を果して弄したものと推定し得るであろうか。

女は寝たままである。男はズボンのバンドを外し猿又を下して一物を露出したまま女の側に横になつて、片足を女の身体にかけている。しかも男は女があくまで拒否する動作を採つていないことを認めている。落花流水の風情である。仮に一囘足で股部を蹴られたとしてもそれが何ほどのことであろうか。時は正にかかる瞬間である。しかも相手は一人の女性である。その場合に於て「それは朝鮮連盟の委員長だ、後には大衆が多くいるからびくともしない、やらねば殺してやる」というような脅し文句を弄する必要が有り得るだろうか。男と女の情事の直前である。一物は既に露出されている。不言実行か或は他に幾多の極り文句がある筈である。女は男が連盟の委員長であることは既に知悉している。こんなことを言う場合では絶対にあり得ない。前後の会話、動作から推して女は畏怖の念を有していない実情が看取されるのである。

そしてその時家の外で誰かの話声がしたので、服裝を正して知らぬ顔して被告人は出て行つたと被害者は裁判官に述べている。公判廷における弁護人の反対尋問に対してその誰かというのに確かな事は分りませんが、増田の妻が来たのではないかと思いますと答へている。しかし検察官に対してはその声は増田の妻であると断言している。増田の妻の声は日頃から聞いているので解る。増田は妻に麦かとうがらしか干しているのを鶏が食うから見に来たと言つていたと答へている。この点に付て証言が食い違つているのである。

これ等の点を綜合して考察するときは被害者の証言は措信し鶏い。全く虚構のものと解し得られる。被告人は終始一貫して否認している。而も事は昭和二十三年のことに属し時の経過によつて無罪の証拠も散逸し、当時のアリバイの成立を立証し得ないのが残念であるが、この無罪の立証の散逸という訴訟法的な配慮も被告人の利益のために考慮されねばならぬ只一人の証言、特に本件のごとき情事に属しては秘中の機微を察すべく容易に信を措くべきではない。

更に被告人としては被害者の供述に符合する供述を為すか一歩を進めて強姦の事実を供述すれば既に親告罪の告訴の時効により起訴を免れ得るのであり、このことは身柄拘束中に弁護人よりも法律上の見解を知らしめているのであるに拘らず被告人は敢へて否認しているのである。否認することによつて大なる不利益を受けている。否認しなければこの事案は免訴となり得る。かかる情況下で尚三十六日間の拘束に堪えているのである。特に検察庁に於いて脅迫罪で略式で罰金刑を求めるが意見はどうかと言はれ正式の裁判を受けたいと申入れたので勾留された事実があり、これは保釈申請書の意見書記載の通りである。事案そのものが軽微であり懲役刑の前科もない。執行猶予の恩典は必ず与へられると見とおしがあつたに拘らず、保釈も却下された。それでも頑強に否認した心情をくむべきである。事実無根を身を以つて立証せんとしたと謂い得る。本件は犯罪の証明なきものとして無罪の判決あつて然るべきものと信ずる。

第二点訴訟条件の不備を看過して実体的判決を為したものであるから公訴棄却の判決を為すべきである。

仮に前敍のごとく無罪の理由が当らないとしても、公訴棄却の判決を為すべかりしものであると思料する。

本件の脅迫は情交を求めたが拒絶されたのに端を発している。拒絶されねば和姦である。拒絶されたので立腹したと判決にあるが立腹したのではなく強いて姦淫せんとして、やらねば殺してやると脅迫したのである。その時の動作は前示の通りである。被告人は女の横に寝ていてこの言辞を為しているのである。片足は女の身体に上げているのである。正に姦淫せんと迫りつつこの言辞に及んだ。被害者時政タヅエの公判廷の証言によつても、万一誰かが来なかつたら関係をされていたと思うかという弁護人の尋問に対して「無理に関係されたかも知れないと思います」と答へている。既に一物を露出し片足を女の身体に上げやらせねば殺してやると迫つている。偶々家の外に誰れかが通り合わせたので強姦が未遂に終つた。障碍未遂であることは判例学説上異論のないところと思料する。

強姦せんとして判示のごとき言辞を弄したとは謂い得るがこれに関係なくして「やらせねば殺してやる」と言うようなことを言う筈はないのである。されば本件は強姦未遂罪の一部分である脅迫のみに付て実体的判決を言渡したと謂へる。

公訴事実は昭和二十三年十月の事であり、刑訴法第二百三十五条によつて告訴の時効は強姦未遂罪については完成しているのである。

強姦未遂罪に付いて告訴の時効が完成した後に於いてその一部である非親告罪の脅迫を訴追し得るや否やは一箇の問題であるが数個の行為が包括的に一個の構成要件に該当する場合は単純な一罪であつて、一の構成要件が二個のそれぞれに罪となるべき行為を結合している場合(所謂結合犯)に於いて、これに該当する行為は包括的に単純一罪である。この場合は合一してのみ起訴するを要し、裁判することを要す。時効の完成についても同様であつて、親告罪である強姦未遂の告訴時効が完成すればその一部である脅迫に付いて起訴し、審判することは許されないことは判例学説異論のないところであつて、数罪が科刑上一罪として取扱はれる索連犯とは異なるのである。

判例によると強姦行為の発覚をおそれ、終了後に於て被害者を傷害した行為は強姦罪に関係はない。(大審院大正十五年(れ)四九六号)とあるがその反対解釈からも本件は強姦未遂に包括されると解すべきであつて、記録に徴しても脅迫のみを起訴し審判すべき根拠に乏しいのである。されば仮に被害者の証言を全て措信するとしても公訴棄却の判決を為さねばならない。

何れにしても、有罪の判決を言渡したのは失当であるから、原判決を破棄して無罪又は公訴棄却の判決を賜はりたい。尚被告人は既に有罪の判決を受けているのでありこれが為拘束三十六日の永きに亘り其の間物心両面に蒙つた損害も甚大である。

形式的な公訴棄却の判決を受けるならば初めから自白を虚構すれば事足りたのである。この特殊な事情を考慮すれば実体的審理を遂げ無罪の判決を受くべきを相当と思料する。刑事補償等判決の後に於いて為さるべき問題があることを酌量願いたいのである。

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